「学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説ばしからずや」
「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」
「天を怨(うら)みず、人を尤(とが)めず」
「士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず」
「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し」
「故を温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし」
「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
「過ちて改めざる、是れを過ちと謂う」
孔子先輩の有り難いお言葉の数々です。(論語から抜粋)
先日、ハラスメント講習なるものを受講したのですが、人としての生き方を考えてみたんですよ。
今さら「ハラスメント」だの「コンプライアンス」だのと学ばなければいけない時代になってしまったという事なんだと思います。
今から2500年も前から「人はこのように生きなさい」という教えを説いた先生は沢山いたんです。
法律だからどうとかではなくて、人を敬い、人を想って生きていれば余計ないざこざは起きないと思うんですね。逆に言えば、人に優しくない人が増えてきたせいでそれを取り締まるための法律が増えているんですよ。
私が好きな論語の一文に
仲弓問レ仁。子曰、出レ門如レ見二大賓一、使レ民如レ承二大祭一。己所レ不レ欲、勿レ施二於人一。在レ邦無レ怨、在レ家無レ怨。 〔仲弓(ちゅうきゅう)仁を問う。子(し)曰(いわ)く、門を出(い)でては大賓(たいひん)を見るが如(ごと)くし、民を使うには大祭に承(つか)えるが如くす。己(おのれ)の欲(ほっ)せざる所は人に施すこと勿(なか)れ。邦(くに)に在りては怨(うら)み無く、家に在りても怨み無し、と。
意味わかんないですよね。
下に現代語訳を載せますね。
(孔子(こうし)の弟子の)仲弓(ちゅうきゅう)が、仁とはどういうことかと質問した。孔子は次のように答えられた。「家の外で他人に逢(あ)うときは、その人を自分にとって何よりも大事なお客のように扱わなければならない。人民を公役に使うときには、祭りを執り行うときのように慎み深くしなければならない。自分が他人からしてもらいたくないことは、他人にもしてはならない。そうすれば国の中枢にいても人に恨まれることはなく、家庭にあっても人に恨まれることはない。
この文章の中でも「己の欲せざる所は他人に施すこと勿れ」という部分は有名で、子供から大人まで共通して心に留めておきたい一文だと思います。
私も意地の悪い部分が多々あり、反省しきりですが、他人(ひと)を想う気持ちを忘れないようにしたいと思います。
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